大好きな友人夫婦にお子様が産まれたから、お祝いに行ってきたよ。産まれてからそろそろ1か月、早く会いたいと思っていて、ようやくお会いすることができました。 だれだれに子どもが生まれるってーのはものすごいドラマで、でも僕はお友達含めて子どもが生まれることに対して「よかったね、無事生まれるといいね!」ということばかりを考えているのですが、このたびの妊娠および出産については「大丈夫かな、無事生まれるのか?」などと、半ば不安が先行する形で固唾を呑んで見守るという感じになってしまっておりました。 無事に母児ともに健康で、旦那も晴れて父親となり、彼らの持ち味は残しつつしっかりと両親になっていて、僕はなんとなく安心したというか、嬉しくなったというか。 しかしそれも含めて、久しぶりに彼ら(加えて仲の良い友達も一緒に)会えたことが嬉しくて、遠慮もなく長居してしまったのでした。 彼らが結婚の折、二人の写真を撮影する機会をいただきました。妊娠も順調に経過した秋のある日、大きくなっていくおなかを記録として残すための小さな撮影会を催しました。そしてその写真を材料に、さらにモノヅクリが好きな職人たちの手によって、一つの記念アルバムを作りました。作り手の僕らは欲張っていろんな素材を入れたかったので、あの写真も、この写真もとやっているうちに子供が生まれてしまい、なんなら子供の写真も入れてしまえということでようやくこのタイミングでの贈呈と相成りました。本当にね、喜んでくれてよかったよ。 アルバムに収録されている写真の中には僕が撮影したものもありますが、撮影した日は天候にも恵まれ、手前味噌ですがとってもいい写真が撮れたと思ってます。僕は元来「写真というのはカメラという媒体があれば誰にでもいとも簡単に撮影できるものであって、それが0歳児だろうと90才だろうと、シャッターさえ切れればそれが作品になる」と思っています。構図がどうとか、そんなものは二の次で、受け手側が何らかの思いをそこから汲み取ればどんな写真だろうと作品になると思ってます。今回二人の写真を撮影して、それが受け手からいいものであるという反応をもらい、撮影してよかったなぁと思えましたね。響いたな、と。 人を取る機会はそれほど多くありませんが、それも悪くないなと思ってます。ちょっと前から、思ってます。ファインダー越しの誰かさんに僕の想いを重ねて、右手の人差指に力をちょっと込めたとき、生成される物体は「写真」と名付けられて保存されます。データとして写真が保存されて、そこに僕と誰かの思いが宿る。そんな世界、素敵だね。そして、そんな世界をバカみたいに凝縮したアルバムが、世界にたった一つだけ、作られたわけです。完全に手作りなので、複写ができないのです。 作り手は幸せを感じながら何かを作ります。楽しいことのおすそ分け、ありがとうってね。そしてそれが人の手に渡って、また感謝される。どんどんつながっていく。数珠のように、ツナガル、ツナガル、ルルルル。 *** 僕らはきっとずっと一緒なんだろう。 なぜだかよくわからないけど、 確信のようななにかが、 僕の心には確かにあって。 きっとみんなそう思っている。 だからやっぱり 離れずに この空気を暖めて 差し込む光に僕らは明日を見た それぞれのそれから だけどまた交差する 過去も 現在も 未来も 積み重なった一瞬をつなぎ合わせて 同じ場所を共有できる 友達っていいね と 子どものころからさんざん言われてきた言葉が この年になって 胸に響くのです。